排尿障害が治り開腹手術と尿管ステントが不要になる 1
9月卵巣ガンと告げられ11月に摘出手術を受けました。
婦人科の病と分かるまで1年近く、掛かり付け医や他の医療機関をまわるうち、腫瘍は周りの組織を圧迫し排尿に支障が出るまでに大きくなり、国際医療センター(医大)にたどり着いた時には腸に癒着していました。
腫瘍は悪性と診断され、手術は主要患部の左卵巣と卵管、右の卵巣、卵管・子宮・骨盤内リンパ節そして大網を切除し6時間を超える大手術でした。
手術前日に聞かされた、腸との癒着が深く人工肛門装着を想定しての手術は、回避され目に見える悪い箇所は全て取り除いてもらうことが出来ました。
私にずっと付き添い何度も医師に「これからの人生を人工肛門にならないようにお願いします。」と懇願してくれた妹が、術後目覚めた私の傍らで「大丈夫、人工肛門にならなかったよ」と云ってくれた時、奧野先生には手術前日のことなのでお伝えすることも出来なかったのですが、助けられたと心底嬉しく涙があふれました。
卵巣腫瘍と分かり手術を宣告された後、25年以上先生にお世話になっている母に伴われ先生のもとを訪ね、手術までに治療していただいたのは6回ですが確実に腫瘍は小さくなったのです。
もし、母の言葉に従わず先生のもとへ行くのをためらって遅くなっていたら安堵するような結果に終わってなかったと思います。
医大での初診時すでに排尿障害で尿の出は悪く、10日も立たないうちに全く出無くなってしまい、自己導尿キッドに頼る状態で奥野先生に治療していただきました。
初回、先生に温和な表情で迎えられ緊張はほぐれ、しっかりとお話を聞いていただきました。
手術予定日を聞かれ秩父での治療日を数えられ、「後、5回ありますね。通ってみてください、今日は木曜で日中ですが水曜日は夜9時(今は8時)までに入れば出来ますから。腫瘍が小さくなれば良いんですね、無くなれば最高ですね。そうなるよう治療しましょう」と云われ、励ましてくださいました。
その言葉の通り手術直前、6回目の頃には少しですが自然に尿が出るようになり症状に変化がありました。手術を待つ間、病院では検査はしても治療や処方はないわけで当然腫瘍は大きくなり症状は悪化した筈です。
奧野先生の治療のお陰でガン組織はみな綺麗に取り除かれ、人工肛門にもならず無事に手術を終え、この病の最初の試練を乗り越えることができました。
しかし、第二波はすぐにやって来ました
手術後1ヶ月、体力の回復と共にガン根治治療の化学療法、抗がん剤治療が始まり、週1治療を約半年間スケジュールされましたが、2回目の治療を受けたところで腹部に痛みが出たかと思うと、今度は尿が止まらない排尿障害が起こりました。
まるで水道の蛇口のパッキンが劣化しポタッ、ポタッと水が漏れ落ちるようでした。
抗がん剤の副作用かと思いましたが検査結果は尿管損傷、腫瘍摘出手術時、腸への癒着はなんとか剥がせたものの、事前に見えていなかった尿管に巻き付きついた腫瘍を剥離する際に出来た傷の修復部が何らかの原因で破れ、そこからの漏れが腹部に溜まり、尿道とは別に膣道からの漏れでした。
退院後も奧野先生、妹、娘たちに支えられ、順調に回復に向かっていく中「もう少し、慎重に」と云う周りの心配をよそに職場復帰した自分の軽率さを後悔しました。
医大で行われた処置はステント術と云う、尿管にステントを挿入し内側から傷をふさぎ腹部への流れを止めるものでした。
治療後一両日で止まると云われ安堵したものの、2日経ち、3日経ち状態は全く変わらず、念のための当日入院は感染症を起こし13日間、その間止まるはずと云われた尿漏れは止まらず、
「抗がん剤治療が開始されている状態では終了するまで他に何も出来ない、改善策は治療終了後の開腹手術を考える」という泌尿科担当医の見解に落胆し、すがるところは奧野先生しかなく手術後も治療をお願いしていましたが更に、手術をせずに何とか尿管の傷が塞がり、尿漏れが止まるようお願いしました。
毎週水曜日、けっして近所ではない妹が迎えに来てくれ秩父までの長い道のりを、「まるで小旅行だね」と私に気兼ねさせまいと明るく励ましながら毎回連れて行ってくれました。
約5ヶ月症状は改善を見ることなく、その兆しさえ感じない日々に手術の二文字がよぎり焦りと恐怖に後ろ向きの気持ちが出ることもありましたが、妹に「奥野先生は止まると思うけどなって云ってくれたのだから必ず止まるよ」と励まされ先生のもとへ通わせていただきました。
先生は毎回多くの患者さんの治療をされるなか私にも力一杯治療を施してくださり、時にはその治療の効果がビンビンと身体に入ってくる感じでした。
不思議と治療前の重い身体や暗らかった気持ちが、治療が終わるとパーっと一気に軽く明るくなり、帰りはかなり饒舌になって、同じ道なのに運転手でない私は抜け道を通ったのかと思うほど短く感じました。
抗がん剤治療が終了し婦人科から泌尿科へと担当が移りいよいよ開腹手術かという時、急に症状が落ちつきカルテの廻った泌尿科でその話をすると、症状が落ち着いて生活が楽ならば、現時点での開腹手術は見送り4~5ヶ月毎のステント交換で様子を見ていく選択肢もあると提案をされ、私は一も二もなく受け入れました。
手術以外ないと云われた症状が何故改善したのか話されませんでしたが、開腹手術にしても非常に難しく、確実に改善を期待できるものではないとの説明で終わりました。
一度も診察を受けることは有りませんでしたが、泌尿科に移ると同時に排尿障害のポタッ、ポタッを感じなくなり自然に止まったのです。
奧野先生に一刻も早く報告したく治療日を待ち望み、当日順番の来るのも待ち遠しく、先生に 「止まったみたいです」と半信半疑のような言い方をしてしまいました。
先生は、「おっ、そうですか、良かったですね。大変でしたからね。ほんとに良かった」と喜んでくださいました。
「手術はしなくて済むと思うよ」と云ってくださった通り、最高の治療をしていただき “二度と手術はしたくない願い”を叶えてくださいました。
生涯を不自由な身体で送らなければならなかったかもしれない淵から救っていただき、言葉では尽くせない感謝の気持ちを、多くの患者さんの治療されている先生の意に添い、私の体験もいつか誰かのお役にたてばと、ありのまま一生懸命書かせていただきました。
予想外の卵巣ガンという婦人科の病を患い「排尿障害でオシッコが出ない」ともがき、手術の後遺症で「今度はオシッコが止まらない排尿障害」で泣き、長く辛い時間でしたが奧野先生にご縁をいただき、妹、娘をはじめ周りの多くの愛情に支えられている幸せを実感する日々でもありました。
奧野先生、出口の見えない苦痛から救っていただき本当にありがとうございました。
身勝手ですが、先生がこれからもずっとご健勝でいてくださることを願い、私の小さな人生にも支えになって頂ければ幸せです。
これからもよろしくお願いします。
物書きが苦手でまとまりがなく、伝わりにくいと思いますがよろしくお願いします。
排尿障害の治療 女性
排尿障害が治り開腹手術と尿管ステントが不要になる 2
(この治療体験談は「排尿障害が治り開腹手術と尿管ステントが不要になる 1」の続きです)
卵巣ガン手術から術後の化学療法、抗がん剤治療終了、手術後遺症となった排尿障害改善からずっと奥野先生にお世話になり心身共に救われました。
前回書かせていただいた事に重なりますが、12センチにも及んだ腫瘍は腸と癒着し人工肛門装着を想定しての手術と云われ、人工肛門の言葉に愕然としたのを忘れません。
手術前、奥野先生の治療を受けることが出来たのはわずか6回でしたが、人工肛門にはならず小さな播種(はしゅ)まで、目に見える悪い所は全て取り除いてもらうことができました。
私を心配する周りの人の祈りも通じ先生の治療の凄さに神業を感じました。
手術後1ヶ月で発症した排尿障害、手術以外改善策は無いと云われた手術後遺症の尿漏れが、奥野先生に毎週治療していただき、時と共に手術せず嘘のようにピタッと止まりました。
発症時、医大の泌尿器科で尿管ステント術を施され、一両日で止まると云われたものの約半年止まらず、ステントを入れ直すことも、詳しい検査をするでもなく、抗がん剤治療終了後の手術を考えると云われ、只耐え、我慢の半年でしたが“二度と手術はしたくないです”と奥野先生にお願いしダダ漏れしていた尿がいよいよ手術と云うとき急に止まり、自分の意思で自由に自然な排尿が出来るようになりました。
この喜び、感動は一生物です。
抗がん剤治療終了とともに尿管ステントの交換が予定されていて、排尿障害が改善されたことでステントは抜けるものと思いましたが新しいものが入れられました。
尿管ステントにより改善されたのならば尿管ステント術後すぐに、少なくとも数日で止まっていたはず、このまま体内に置いておく必要があるのか疑問を抱きながらも医師の判断に逆らう事もはばかれ、4~5ヶ月毎の尿管ステントの交換を続けていましたが、あるとき奥野先生から「このまま、しんどい尿道のステント交換を続けていくのは大変でしょ、症状が無いなら一度外してみてもいいんじゃないかな、もし駄目だったらもう一度入れることも出来るでしょう、医師に相談してみたら」と背中を押され、次の交換時に泌尿科担当医師に申し出ました。
医師の答えは「お勧めしません、前回検査で尿道下方部に少し症状が見られるので」と却下、「どうしてもと望むなら主治医の婦人科担当医に申し出てください」と云うものでした。
しかしずっと奥野先生に治療して頂いていた私には、自分の身体に「もう大丈夫、症状が消えて以来一度も無いのだから傷は完治している」とういう手応えがありましたので、婦人科再診時に担当主治医にあらためて相談し、次回ステント交換時に尿道造影剤検査を行い、状態次第でステントを継続することを条件に抜く方向で話を進めてもらいました。
5回目の交換時、造影剤検査からと聞いていましたが検査ではなく抜去術が行われました。
「検査は?」と聞くと、「どちらにしても抜くのだから検査はしません、これは一か八かの賭けです。駄目だったら手術になります。心してください」と言われ尿管ステントは外されました。
婦人科から泌尿器科へのオーダーの詳細は分かりませんが排尿障害が治り無事に1年が経ちました。
お陰でこれまでのステント交換時の痛み、ステント交換術後の出血や腹痛から解放され、完全に尿管の傷は癒え尿機能は正常に機能していると実感しています。
奥野先生に排尿障害の治療をしていただき、一歩前に出る背中をポンと押して頂いたから、排尿障害のない以前の生活が、当たり前のように今出来ています。
今もガンの再発予防と抗がん剤副作用の足の痺れや薄くなった頭髪の治療、おまけに遠方に暮らす娘親子のことも何かと治療で助けて頂いています。
娘親子については、いつか娘から報告させて頂く機会があると思いますが、これからも家族共々よろしくお願いします。
奥野先生の生き方に触れさせていただき、見習う様な大それた事はできませんが、些細なことでも人の役に立つ気持ちをもって生きて行きたいと思います。
排尿障害の治療 65歳 女性
排尿障害が治りオシッコが普通に出るようになった
奥野先生いつもお世話になります。
私は尿道の出口に出来物ができて、そこを押さないと排尿障害でオシッコが出なかったんです。
それを奥野先生に治療をしていただいたら…3~4回したでしょうか…4回目押さえなくても出るようになりました。
健康管理のために続けて治療をしていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
排尿障害の治療 75歳 女性