今の痛み・つらさは未病予防の扉かもしれません

慢性疲労症候群から救われる

 主人(38.歳)、同じ歳との間に、長女(高1)長男(中2)次男(小4)次女(小3)の4人の子供達にも恵まれ、各々が精一杯協力しあって地道ながらも今日の家庭を築き上げで来ました。

お陰様で、主人も何よりも尊い健康な体を維持させて頂き営業という不規則な仕事にも励み一家を支えて下さいました。
私自身も次々と仕事に恵まれ、長女が生後8ヵ月頃から末の子が幼稚園に入る頃までは内職(朝9時頃から夜まで)その後は知人に頼まれパートに出ました。

当初は5時間程度だったのですが、いつの間にか朝7時半から夕方までのとても辛い日々でした。幼稚園の給食センターで主に4人で市内4つの幼稚園約1,200食を担当していました。    

目の回るような様な忙しさの中、時間に追われ、皆無言のまま汗だくでひたすら動いた。午後になり空のお弁当箱を洗い全ての仕事が終わる頃には下半身はグショ濡れになってしまいます。
その上、土日は主人の知人である福祉センターでお手伝いしていました。
今、あの頃を想い起こすとなぜか涙があふれてきます。

もう過ぎ去った日々は取り戻す事はできないとわかっているのに・・・
子供達との触れ合いの一番大切な時を、知人というだけの為に責任感に追われ忙しい仕事に無我夢中でひたすら歩いて来てしまった私・・・
主人もとても良き理解者であり、協力もして下さいました。子供達も必ず 
「行ってらっしゃい!ガンバッテネ!」
「お帰りなさい!ご苦労様でした!」
「お母さん、疲れているだろうから簡単な食事でいいからね!」
などと、それはいつも優しい言葉をかけてくれました。
そんな中で疲れきってしまった体もどこかへ吹き飛んでしまい不思議に軽く動き出すのです。
私の前では決して淋しそうな顔を見せずに、小さな体で精一杯私を励まし協力して
くれていた子供達・・・

でも、心の中ではきっと、毎日毎日、我慢して、我慢して・・・とても大人だったと思います。
我先にと一日の出来事をはしゃぎながら、話す声を背に受けながら家でのせわしい時間がアッという間に流れて行く。
そして、一人になると初めて我に返り、母として妻としての心を見つめ直すと自然と頭が下がり涙が溢れてくるのです・・・

そんな自分に体の不調が現れたのは、今から2年7ヵ月前の5月でした。
職場で突然頭の上に物が落ちて来た事からでした。
大した物でもなかったのですが、きっと、その時が私にとっては体が限界だったのかもしれません。

その場に崩れる様に倒れ、それからというものは動悸、頭痛、めまい、頑固な首から肩・背中への凝り、手足のしびれ、脂汗、全身の震え、不眠、食欲不振など数多くの症状に悩まされどんどん陥り体重も7キロ位減ってしまいました。

その後、精密検査の為、病院巡りが始まり、その結果医学的な異状は全く認められず、結局は
「今までの疲労が積み重なり、ここで時間をかけ充分リラックスして休養を取る事しかありません。」
それなので薬も頂けませんでした。

そして、日増しに衰えて行く私の姿を見ていられず、次々と6つもの病院へと行き殆ど同様な検査を受けました。でも、やはり答えは同じでした。
それからは、群馬の整体、指圧に週3回。近くのマッサージには毎日通いました。
数多くの検査で、心身共に疲れ果ててしまった私は、全ぐ抜け殼の様でもう遠い群馬も近くのマッサージに行くのもとても苦痛でした。

心配して下さる人達のは本当に申し訳ない気持ちで一杯でしたが返って負担に感じ、どうにも出来ない自分自身。
ただ、追い詰められて行くだけでした。
皆で協力仕合い蓄えた預金も検査や治療費(保険が効かない)として、余りにも瞬く間に消え去って行ってしまう・・・。

あらゆる事を尽くして頂いたのにもかかわらず、それは一時の気休めにしか過ぎずズンズンと私の心の根底に重荷を沈めていくかの様でした。
病気とは全く無縁でお産以外は寝る事もなかった自分。
そんな自分は今、部屋の中をやっと這って用をたしている。

それでも、もしもの時を考え、気になる所を整理してみたり写真を探しておいたり・・・言葉を書き留めておいたり・・・・。
なぜ?なぜ?こんな事をしなければならないの?・・・余りにも悲し過ぎます。淋し過ぎます。
この何ともやり切れない気持ち。ただ運命だと諦めるしか方法は無いのでしょうかそんな中で主人と子供達の存在は何よりも大きく輝いていました。

朝家を出る時
「お母さん、1人で大丈夫?具合悪かったら電話かけてネ。すぐ帰って来るからネ何もしないでゆっくり休んで待っていてネ」
などなど。中には心配だから学校を休みたいと言い出す子もいて・・・そして昼休みには電話をかけてくれたり、小学生の2人の子供などは3キロ近くある道を走って帰り少しでも早く私の元へと戻って来てくれました。

姿を見るととても安心して、疲れたのも忘れ、すぐ勉強を済ませ、ベットの廻りで主人の帰りをずーっと待って過ごしていました。
主人も仕事帰りに買い物をしては、夕食の準備をして下さいました。
夜9時頃になっても、だれ一人として「お腹が空いた」などと愚痴を言い出す子もいません。
ただ1つ困ったのはお風呂でした。
「お母さんが入れないのなら、入りたくない」
と下の2人の子が、私のベッドにもぐり込んで駄々を捏ねると主人にどうしても入る様に言われ結局は泣き泣き従う時でした。
「お父さんが代わりに一生懸命世話をしてくれるのだから皆言う事を良く聞いてちょうだいね。お父さんはとても疲れているのだからね」

少しの事でもすっかり涙もろくなってしまい子供達まで巻き込んでしまう事も少なくありませんでした。親として失格者でした。
家族揃う楽しい団らん。元気だった頃はそれが当たり前に思えていた。
それが今はなんて暗くて長いのでしょう。
この家族を選択出来、この世に命を授かった訳ではない。


何ひとつとして罪など無い子供達・・・。
そんなある日、昭和63年11月9日(水)私達家族にとって、一生忘れられない大切な日となりました。
それは先生との出会いの日です。

切っ掛けとなったのは何とすぐ近くに住んでいらっしゃる主人と同級生でもあるUさんという方から貸して頂いた一本のテープで始まりました。
先生自らのNo.19講演のテープでした。
そのお話は、色々な方々か様々な難病で苦しみ縁あって行き着いた所が先生・・先生に治療して頂く事によって完治されていかれたという喜びの声でした。
テープから流れ聞こえて来る先生の声・・・。

まるで、真っ青の空みたいに澄んでいて、響き輝いていて、いつの間にか夢中で引き込まれていました。
(こんなにも難病だった方々がグングン元気になられて行く・・・。
もしかしたら、いや、絶対に私も先生に治療して頂けるなら、今の苦しみから脱出出来るのではないだろうか)そう確信したのです。

私に希望の光りを与えて下さったのです。
そして、もうじっとしていられない気持ちにかられました。
そして何と幸運にその夜、秩父の治療院に来られる日だったのです。
早速主人と連絡を取り、Uさんにお骨折りを頂き、その晩のうちに治療して頂ける事になりました。

遠い横浜から6時間余りもの長い時間と体力を費やして、この様な奥秩父まで来て下さる先生。
今の世に中にこの様な先生がいらっしゃるだろうか・・・。
私達家族はとても心打たれました。遠距離をずっと1人で運転して来たのにもかかわらず、私達の前では疲れの欠片すら見せず、先生は優しく微笑んで迎えて下さいました。

あの時の情景ははっきりと心の奥底に焼き付いてこれから忘れないでしょう。
そして、これまでの長い経過を丁寧にじっくり聞いて下さいました。
もうそれだけで、全身がすーっと軽くなり不思議な感覚になりました。
それから治療が始まり、U字磁石を使って体の悪い部分を教えて下さったり特殊な機械で体を矯正して下さったり、先生の五官を使って全力で治療して下さいました。

ひとつひとつ丁寧に説明して下さり、見守ってそばにいた家族たちはまるで魔法でも見ているかの様な不思議な光景に写ったそうです。
そして全員を治療して頂いた頃はもう10時半過ぎでした。私自身は
『心配しないで大丈夫ですよ』
と言って下さいました。何とありがたく嬉しい言葉だったでしょう。
『今晩からは眠れる様になりますよ』
と優しく言葉を付け加えて下さいました。
何だか生まれ変わった様な不思議な気分になり、家に着き早速テープをかけました。

これまで、全く食べ物の味など感じ取れず、やっと、2口・3口程しか通らなかった食事。それも心配する実家からの1日3回の電話で、必死の思いで取っていました。わたしが例え1口・2口でも食べてくれないと実家の年老いた両親までもが食べられないと言うのです。

私はどんなにか心配をかけてしまった訳です。
親孝行してあげたいのに逆の立場なのですから、本当に申し訳けありませんでした
それが、その夜、何とお腹が空いたのです。そして取り合えずあったインスタントラーメンを1杯平らげてしまいました。

自分は勿論、家族全員ビックリやら嬉しいやら!!         
あの夜の感激は今も生々しく覚えています。そしてその後久しぶりのお風呂に入れたのです。これ,また感激です。
テープを最後まで聞き終わり、床に着いたのは1時過ぎでした。
振り返ってみると、今までにこんな安らかな気持ちに浸った時があっただろうか?
今の気持ちを表現するには、余りにも難しすぎて言葉がみつかりません。

病気になり最後に先生と縁あって治療して頂ける事になり完治目標に向かうと同時に人間として少しでも正しい生き方をする様努力して行けるならどんなに幸せですばらしいでしょう。
先生に心から感謝してそのまま自然に深い眠りに入り翌朝目が覚めました。
ここ数日は睡眠薬を使っても全く効かなかったのに朝まで熟睡出来るなんて本当に夢の様です。

その日から力強い心の支えが持て、不安で暗い日々から安心で楽しく過ごせる毎日へと、少しずつ変わって来ました。
私自身の体は1度の治療で殆どの症状は消えてしまい、残すは首から背にかけての凝りは相当しつこいものだったらしく、その為による頭痛でした。

そして毎週木曜日の治療を待ち遠しく、その朝は張り切って家事も済ませ通い続けました。
講演のテープも沢山分けて頂き、家と車と欠かさずに聞かせて頂いています。
先生は身の廻りに次々と起きる極小さな出来事も見逃さず、必ず様々な角度からじっくり見つめ直し自然な形で解決して行くのです。

先生のお話は世間の波に忙しく振り廻されている現代人に自然の美しさ、真の人間らしさ、所有物に対する思いやりというか感謝の感持など失いかけている童心を思い起こして下さる。

私には中でも先生のお子様達の生活面のお話は特に心引かれ楽しく楽しくとても勉強にもなります。
冬の間、こちら秩父に来て頂けない間やはり不安になって電話で治療して力付けて頂いた事も少なくありません。
電話を置いて数十分・・・不思議と症状が回復してしまうのです。
本当にありがたいです。
話は変わりますが、実は私達家族は、先生のお世話になり健康をすっかり取り戻しているからです。

まず、長男は視力が低下しメガネを使用していました。
(約1年位)ところが早速治療して頂き「きっとメガネが外せますよ」
と言われ、その時に目の体操も教えて頂き、毎朝続けました。(数分間)
メガネが必要になった時、どれだけ悩み不自由をした事でしょう。
それが何カ月か過ぎたある日
「教室で黒板を見るのにメガネを付けていると字がボケてしまうの。そして外すとはっきりと良く見えるよ」
と言い出したので思い切ってメガネを仕舞ってしまいました。
でも、体操は一日も欠かす事なく習慣となっていました。
そして病院へ検査に行った所、0・3だった視力も1・5までにも回復していてメガネは完全に必要ないと言われ驚きました。

長男は嬉しかったのも隠し切れない程大きかったろうに
「ごめんなさい。せっかく高いメガネを買ってもらったのにすぐ不必要になってしまって」
などと申し訳なさそうに言いました。長男もとても真面目で素直な優しい子です。
両目2.0の視力の弟も
「僕もせっかくすばらしい眼を与えて下さったのだから、これから先ずっと大事に使わせて頂ける様にお兄ちゃんと一緒に体操をして行こう」
そう言ってやはり毎日続けて習慣となっています。

それからもうひとつは、3月から先生が来て下さる、10日程前、いつになく花粉の多い年となり、黄色く積もる程でした。今までは全く無縁だった我家も長男が重度の花粉症にかかってしまったのです。
何としても初めての事なので、廻りの家族も戸惑うばかりでした。とりあえず病院へ行き、目薬、うがい薬、飲み薬を頂いて来ました。

目は涙ぐみ、赤く腫れ上がり、専用のマスクを付けても、クシャミ、鼻水とすぐにグッショリ。それでも学校まで車で送迎して体育は休ませて頂き、自習していたものの、起きているだけでも苦痛な状態だったので心配でなりませんでした。
そしてとても授業出来る状態でなくなったので結局学校をお休みせざるを得なく
なりました。

(もし変われる事が出来るなら変わって楽にしてあげたい)
どうしてもあげられない辛い気持ちのまま、ただ先生が来て下さる日を待ち焦がれていました。      
やっと3月(待つ事数日間だったのですが)になり早速先生の所へ飛び込んで行きました。そして治療して頂き、やはり、その日の内に大分症状が軽くなり本人も精神的にも楽になれホッとした様子でした。

うがい、食後のお水を取る事、蜂蜜で栄養補給を教えて頂き実行していると次週の2回目には、あれ程重度の花粉症も殆ど消え去ってしまいました。
1回の治療で学校にも行ける様になり再び平穏な生活を取り戻して頂きました。

その他中学生になり、環境も変わり心身共に大人に少しずつステップする不安定な時期も重なってか急にトイレが近くなってしまいました。(毎時の休み時間に行く程)遠足、行事等、団体行動の場合とても困る事と心配でした。
やはり先生にかかるとスーッと治して頂きました。

その上、すっかり健康にした頂いた現在は、進学に備え記憶力を良くする治療して頂きながら本人も常に努力を忘れず、地道に勉学、部活動(プラスバンド部で女子50名中男子1人)でパーカッションを担当、少林寺拳法、趣味としてエレキギターと励んでいます。
先生との出逢い、次々と病を完治して頂き、その中での先生の力のすばらしさに驚きと興奮を覚えながらで心から慕い感謝の念を忘れません。

夜ベットに入り両手を合わせ、朝目覚め
『今日1日無事過ごせた事ありがとうございます。
明日もどうぞ、宜しくお願い致します。お休みなさい。
おはようございます。今朝こうして目覚めさせて頂きありがとうございます。
今日も一日お願い致します。お守り願います』

そうして無事一日が始まり、無事一日が終わる日々を送っています。
次いで長女は、難関を突破し念願の志望校にも入れ、片道3時間余りの通学時間をかけて、朝5時半には家を出なければ間に合わない毎日を何の苦痛、弱音も訴える事のなく、多くの新たな校友とも相親しみ、勉学にも全力投球し、有意義で楽しい高校生活を育んでいます。


決定前には、私の体を案じ断念も考えた事もありましたが,高校案内のガィドプックでここを知り
『自分で希望していた所はこういう所でここならきっと、叶えられると思う』
と言う考えを知り、兄弟も最後まで反対していた父親をも説得し協力賛成へと導く切っ掛けも作ってくれる程成長し、兄弟の絆も強く結ばれています。

長女も先生に健康管理をして頂く事に寄り、遅い時には10時半頃にもなり睡眠平均4~5時間の中で、しっかり食事も取れ、1日も休む事無く元気に通学出来ています。校内で1番遠距離というハンディを抱えながらも、それは自分で選んだ道だから、甘えは許されず、それ以上に頑張る事が自分を選んで下さった先生方への恩返し"と強く自覚し納得行くまで努力しています。

自然の美しい季節の移り変わりも知らずに捲る捲様に日々が流れ過ぎ去って行きます。
 「朝家を出ると空には星と月が輝いていた・・・」
本人の目標である「3年間無欠席」実行する為には、厳しい現在の生活状況を見守っている家族にとっても「本人の体力・精神力」が一番の心配点です。

2学期に入った間もない頃、夏の疲れも出たのか体の不調が現れたのです。
顔面がこわばりピック症状が出たり、胸が重苦しく食欲も無く
 「学校だけは休みたくない」
と言う本人の言葉に送り出してやってはみたものの心配でなりません。
そして、私を通じて学校にいる娘の体を治療して頂いた事も何度かありました。

 その甲斐あって、今まで休む事もなく成績の方でもトップクラスで頑張っています。
それからこんな事もあります。
夜遅く床に着き「やっと、眠れる」と思うと急に激しい頭痛に襲われた時なども先生から頂いた御守をあてがうと数分の内にスーッと抑まり知らないうちに熟睡出来るそうです。

御守は、起きている時は胸の中に夜は枕の所という様にいつも肌身離す事なく持たせて頂いています。
こうして、病院に行く時間も暇も取れない娘にとっては、先生の存在はどれ程大きく心の支えとなって下さっている事でしょう。
小学生の2人の子供達も何かの大会・行事・試験などある事に御守を首にし、頑張っています。確かに実力以上の発揮出来る事、それも精神安定から始められる事が一番の秘訣だと言っています。

先生の話題が無い日はありません。
テープも生活の一部にすっかり溶け込んでいます。
『大きくなったら何か人の為となる様な仕事に就きたい』
などと今から話しています。
今まではとても風邪をひき易く扁桃腺熱で病院とは縁が切れず、保険証には張紙する程でした。それが先生にお世話になってこの2年間というもの、まだ1度も病院にかかっていません。本当にありかたい事です。

ですから毎日、学校・少林寺拳法・ピアノ・エレクトーンと休む事もなく通えとても有意義な日々を過ごさせて頂いています。
私の事から始まり家族全員が先生にお世話になる事によって、次々と改善され良い方向へと歩み出しています。

時々、こんな幸せな事ばかり続いて申し訳ない気持ちと少しの不安も感じます。
これからの長い人生の中で様々と起こる出来事はとても測り知れませんが先生との出逢いを出発点として家族の気持ちをひとつにして《我家なりの幸せ》を精一杯築き上げて行こうと決心しました。

先生が一生懸命に心から話して下さった多くの言葉・本当の優しさ・体全体から溢れる笑顔・私たちは全てがステキなプレゼントです。    
これからずっーと忘れる事は無いでしょう。
「先生、本当にありがとうございます」
心より感謝して居ります。

慢性疲労症候群の治療 主婦

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