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不妊症が治る-いつも心配ばかりの私をささえてくれました

 奥野先生にお世話になり始めてから 3年ちょっとですが今回2度目の体験談を書かせて頂きます。1度目の治療体験談では、不妊治療に通っていてもなかなか赤ちゃんに恵まれず、検査手術をしようかどうかと悩んでいた私たち夫婦に「手術なんてする事ないよ。赤ちゃんはきっと出来るから・・・」

と先生はおっしゃりその言葉通り、手術を予定していた1週間前に妊娠がわかったという大感激の出来事を書かせて頂きました。あれから早2年が経ちその時の赤ちゃんも(Hll・3・4)2才2ケ月を迎えました。

お腹にいる時「この子は良い子になるよ!」と先生に度々言って頂きましたが生まれてから同じ病室だった親御さん数名でずっと仲良くし、成長過程を共に見てきましたが、他のお母さん方から「男の子なのに手がかからなさそうだし落ち着きがあって本当に良い子で羨ましいわ」と、いつも言われております。

今まで見てきて病気らしい病気はしていないし 本当に育てやすい子ではあるなあ、と私も思い、これは先生の治療のお陰ではないかと思っているところです。そして妊娠しずらい体質(卵管の通りが非常に悪い)であることは不妊症治療で承知していたので1人目が生まれて余り間をあけないうちに
 「もう1人授かりますように・・・」と 又、先生の所に通い始めました。

すると、それから1年もしないうちに自然妊娠で2人目が出来た事がわかりました。 2人目がこんなに早く出来るとは思っていませんでしたが、以前
 「もう、卵管の通りは良くなっているよ」と言う先生の言葉を思い出し
 「きっと、そのせいですぐ出来たに違いない」と 又、先生に感謝の気持ちで一杯になりました。

そしてその頃から新たな悩みがいくつか生じてしまい妊娠中何度か先生のところに通いました。
最初の悩みは、ご近所に住む主婦の方の奇妙な行動でした。その方は 〈強迫性心神症》という心の病を持ってらっしゃる方で 急に何かに恐怖心を抱いてしまい、それを取り除く為には自分の決めた行為を行わないと気が済まないという病気のようでした。

ある日、その方から「お宅の家の周りを回らせて下さい。又、チャイムを3回を3セット鳴らし、それを5日間同じ時間にやらせて下さい」と頼まれました。「それには何の意味も無い事だけど そうせざるを得なくて、たまたまあなたの顔が頭にうかんだから」と言うのです。

わたしは「それで その方の気がおさまるのであれば・・・」と思い戸惑いはしたものの快く「どうぞ」とお返事しました。
実際グルグルと家の周りを回り始めると何となく落ち着かず「何故、私の顔が浮かんだのだろう?何かあるのでは?」等と考えだし自分の方が情緒不安定気味となり先生にご相談しました。すると先生は目をつぶったまま紙に大きく《寿》と書いて渡されました。

それ以来この駄事は起こらなくなり、その方は遠方に引っ越され、解決しました。
2つ目の悩みは妊娠4ケ月頃にある本で「妊婦が妊娠6ケ月位までの間に風疹にかかってしまうと、お腹の子に障害の出る可能性が高い」と言う内容を読んだ事から始まりました。

私は以前行った検査で風疹抗体が少ないと言われていましたし、上の子はその時点でまだ風疹の予防接種を受けていませんでした。
又、ちょうど 風疹が流行っている時期でもあったので、上の子がかかってしまうとわたしもかかる可能性が大きいのでは・・・?」と心配し始めたらいてもたってもいられなくなってしまったのです。

この件を先生に相談すると 「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。」と、おっしゃり、その後風疹にかかる事もなく妊娠の経過も順調に進み、心身共に健康な状態で過ごす事が出来ました。本当に先生の力は偉大だと実感いたしました。

最後にもう1つ、これは悩みという程のものではありませんが、私にとっては割りと大きなこだわりとなっていて心に大きくのしかかっている事がありました。 
私は幼い頃から「子供は女の子が絶対ひとりは欲しい」と思っており、夢にまで見てしまう程、その事に執着したおりました。不妊症とわかってからは「そんな事言ってる場合ではない。

どちらでもいいから早く授かりますように・・・」と気持ちを切り替える事も出来、上の男の子が出来た時は、とても感激しましたし、もちろん今も愛情一杯で育てております。でも心のどこかで
 「次は女の子ができるかしら?又、男の子だった場合その子をいとおしく思えるかしら?」等と母親としてあるまじき事を考えたりしていました。

その気持ちが頂点に達したのは、2人目を妊娠中に「今度は女の子がいいって、お父さんが言ってるよ。」という義母の何げない言葉を聞いた時でした。思い起こせば義父は男兄弟だけで子供は主人を含め息子2人なので、女の子という存在に憧れの様な気持ちを持っている、というような事を私は結婚当初、義父の口から聞いた事があったのです。

そう考えると義母も息子2人なのだから女の子を抱いて見たいと思っているに違いないと思いました。
主人は私があまりにも女の子を欲しがるので1人目が出来てからは口にしなくなりましたが、子供が出来るまでは、やはり兄弟が弟1人だったので女の子が1人欲しいと言っていました。

みんなが女の子を望んでいるとわかると増々プレッシャーがかかり
「お腹の子はどちらだろう?」と気になって仕方がないという状態になっていました。ちょっと、買い物に出掛けても女の子を抱いた親子ばかり目に入るしテレビを見ていても子役の女の子に目が釘付けになってしまうしそうなればそうなるほど、「それではいけない!」とそういう気持ちを打ち消すもう1人の私がいて、いつも葛藤していました。

とうとう自分の気持ちが整理出来なくなった時、この事を先生に相談してみると 「お腹の子は女の子のような気がするけどなあ・・・でもこればかりはどうする事もできないよ。神はそこの家にとって、最もふさわしいと思われる子を授けてくれるわけだからね。

それに母親がそういう気持ちでいるとお腹の赤ちゃんに通じて、男の子だった場合一生その子は心に傷を持って生きて行く事になるよ。
どちらでも授かった子が一番と思わなくちゃだめだよ」
と言われ、それからは不思議と気持ちが落ち着き、それまでの執着心のようなものがなくなったように感じられました。

そして又2人目も無事安産で生まれるように先生にパワーをいただきH10・10・5に1人目よりも更に軽いお産で、体重2970gの赤ちゃんが誕生しました。
それまで性別は聞かないでいたのですが
「おめでとうございます。今度は女の子さんですよ。」という助産婦さんの声に
「えっ?本当に?」と感激で胸が一杯になりました。

主人を始め義父母も、それはそれは喜んでくれて、いつも嬉しそうに抱いて可愛がってくれる姿を見て、私も幸せで胸が一杯になります。2人目の子も新生児のうちからよく寝、よく飲んでくれる子で1人目以上に手がかからず助かっています。

お腹にいる時からずっと、先生のパワーを受けた子達だから2人とも良い子なんだといつも先生に感謝しております。もっと、重い病気を持ってらっしゃる方からすれば、私の様な悩みは、恥ずかしいくらいのものでここに治療体験談を載せていただく様な内容ではないとは思いますが先生の治療の事が少しでも皆様の励みになれば・・・と思い2度目の体験談を書かせていただきました。

奥野先生、本当に色々と沢山の悩みを解決していただきありがとうございました。今後も悩んでらっしゃる大勢の方の為に頑張って下さい。
又、1人でも多くの方の悩みが解決されます様 心よりお祈り中し上げます。
先生も、お身体 お大事になさって下さい。

不妊症治療  32歳  主婦

妊娠し子供が宿りました-不妊症

お元気でいらっしゃいますか? ご無沙汰しています。
今日は、うれしいお知らせがあって、お手紙を出させていただきました。
今年に入ってからは、あまり通えませんでしたが、先生から書いていただいた診察券の裏の「赤ちゃん」の文字を信じて、香港に行って来ました。

日本に帰ってきて、9月の下旬に赤ちゃんができていることがわかりました。
先日、産院に行き、エコーで赤ちゃんの心臓を見ることができました。
産院の先生も「これで一安心です。」といわれ、ホッとしています。
(5月に生まれる予定です。)

今は、つわりがピークの時期らしく、遠出もできず、買い物を近くでするくらいがやっとの状態です。
先生に直接お礼を申し上げたいのですが、手紙にてご報告させていただきました。もうしばらくして体調等が落ち着きましたら、先生に改めまして御礼に伺いたいと思います。

不妊症治療 9月 手紙にて

不妊症治療-第2子がなかなかできなかったが妊娠

私は昨年の暮れ、御縁があって原因のわからない足の痛みで先生をお尋ねしましたが、その日に
「治りました」
と言われ、本当にすっきりしておりましたので心から御礼を申し上げて帰りました。

娘はその時、第2子がなかなか出来なくて不妊症治療で伺ったのですが何も申し上げないうちに
「生殖器が悪いね」
と言われました。そして5月に伺った時
「素晴らしい子が出来ると思う」
と言われました。私はその時、やっぱり先生はおわかりなのだ。と感じることがありました。

娘はまず、他人にことを大切に考え、相手を気遣う子でしたから、次の子も本当に良い子を授かることが出来ると信じました。
長い人生には色々な出会いがありますが、先生との御縁は尊いありがたい御縁と心から感謝しております。

不妊症治療 主婦

赤ちゃんを授かるまで-不妊症治療

【第2の人生のスタート】
私達は、昭和61年6月8日に虎ノ門のパストラルにおいて結婚式を上げました。私27才、妻23才の時です。
 当日、朝はすこぶる快晴、そして式、披露宴中は雷雨、お開きには穏やかな天気となる何か、結婚生活を示唆しているように感じました。

 さて、この世に生を受けた時が第1の人生のスタートとするならば結婚とは二人連れで歩む第2のスタートと言えましょう。そして喜び、悲しみを数多く味わって行くことになるのだと思います。

 いま思えば、私は結婚する年の4月に転職、結婚後の同居と言う状況の中でお互い各方面からの見えないプレッシャーを必然的に受けていたのではないかと思います。


【そろそろ赤ちゃんを】
 あっと言う間に2年が過ぎ去りました。
 私はと言えば、転職して3年目には会社の内状を知りこれではいけないと思い資格試験へ挑戦、かなりの時間を費やしたように思います。試験勉強は、会社に対する反動なようなものでしたので知らずのうちに、自分自身に余裕を持てなくなっていたようです。
当然、妻に対しても、家庭に対しても同じだったと思います。
赤ちゃんができないことが気になり始めたのもちょうどその頃からだったと思います。
その後、試験に受かり、気持ちに余裕ができ、自らの生活が振り返れる様になった時には妻は、あれこれと婦人病に関する本等、かなり読んでいたようです。


【病院通い】
 結婚して3年目、4月頃より、妻はH病院の産婦人科に通院するようになりました。診察結果は、黄体機能不全、生理不順やらで妊娠しにくい状態であることがわかりホルモン投与、又、基礎体温表もつけるようになりました。

 そして、数カ月後 人工授精を行うかたわら私の方も精子の数、活動等の検査をうけることになりました。 ところが結果は、まず通常妊娠は無理、有り得ないであろうと言うことで一時は、目の前が真っ暗になったことを記憶しています。
 ここからが私達の赤ちゃん作り(物のような言い方ですが)のスタートが始まりました。
原因がわかっているのなら治すしかない。私は数量の問題、妻は体調の維持。
治療法と言っても漢方薬投与がほとんど。その間に数回、人工授精を試みはしましたがすべて空振りでした。

 ちょうどこの頃から、特に家族から、近所の人から妻には見えない圧力がかかってきたようです。何気ない赤ちゃんの話から、自分が悪く言われていると捉えがちになってしまうようでした。 このような中で、親にクレームをつけたり等々、とにかく、妻に対する圧力を緩和させること、良好な精神状態を保持する環境にすること等には私も、意識的に行うようにしてきたつもりです。が、それ故に親との喧嘩、妻との喧嘩、も多々あったのは事実です。


 【奥野先生との出会い】
 3月、H病院よりM病院を紹介され、そこで私は、さらにK病院を紹介されました。妻が、奥野先生と出会ったのもこの頃かと思います。その後、私はと言えばK病院より外科的治療(手術)を行った方がいいと勧められ、7月末には手術を受けました。手術と言っても簡単なもの、血液が睾丸の方へ逆流するのを防ぐためであり、白血球が精子に対する悪影響を取り除くためのものでした。

 退院後、数カ月遅れて私も奥野先生の治療を受けることになりました。とにかく自分も医療分野では、今の状態でするべきことはしたと言う気持ちがありましたので、後は気長に治療するしかない、いい意味での開き直り状態でもありました。

 そして、それから約1年間、病院通いと奥野先生の治療を併行して受けることになりました。先生には失礼な言い方ですが、当初は気休め程度になればいいと考えておりました。
 しかし、何度か通ううちに精神的にも落ち着き、もうすぐ子供ができるような確信さえも持てる様な気がしてきました。

 それは、さておき、私の方の状態は奥野先生の治療を受けてから1年後、もちろん病院からの漢方薬も飲んでいましたが、通常の人の1CC当りの精子数の約、半数(2000万)程度まで増えました。しかしながら、医学的には、まだ通常妊娠できるような状態ではありませんでした。そのころにも2回程度人工授精を行い、これも空振りに終わりました。その話を先生にしたところ「自然にできるよ、できそうな気がするけれど」と幾度となく言われ、長期戦覚悟で気長にやろうと妻とニ人で確認したのがこの頃でした。


 【懐妊 出産 命名】
 この頃より、二人とも精神的に落ち着いてきてはいたようです。
 ともかく、私達は、私の転職の都合上、新婚旅行も中止したため新規にパスポートをとり、海外旅行を計画し、年末から正月こかけて海外で過ごすわけでした。

 ところが・・・ 妻に生理がこないことがわかり、期待しないように病院へ送りだしたところところ、思わぬうれしい誤算?と言うことで、めでたく懐妊しました。
 奥野先生に、「すぐにでもできそうな状態にあるよ」と言われ数カ月後のことでした。また、私の状態も医学的に通常妊娠させるほどの精子数には到っていなかったので、驚きの一言でした。

 当然、新婚旅行?は、また中止。
 その後、一時は、大事をとって入院しましたが、以降は病院には指定日に通った程度で出産するまでは奥野先生の診療のみで順調に無事、男児出産を迎えることができました。
6月23日ののことです。結婚してから6年と15日が経過しておりました。


名前 K  
由来 
・拳を使う時にはいろいろな表情があることから
  喜びを表す。(ガッツポーズ)
  悲しみ、悔しさ等に堪える。
  戦う象徴
・礼儀正しいの意


【懐妊までに行ったこと】
私達が赤ちゃんを授かるまでに行ってきたことは

  • ・病院へ通ったこと(妻はホルモン投与及び漢方薬、私は手術及びほとんど漢方薬。通院開始から懐妊するまで2年6ヵ月)
  • ・奥野先生の治療 (私の治療開始から妻が懐妊するまで1年1ヵ月)
  • ・お寺にて子授祈願 (岩舟寺・・栃木県岩舟町)

等であり、奥野先生の治療を除いては極一般的なことです。

 しかし、治療受けて感じたことは、先生の手の温もりが大変感じたこと、そして何より内面的に私自身が変化したように思います。ある程度の知識的にも、精神的にも、常に前向きな考えが持てるようになったこと等です。何か得難いものを得た感じがします。
 まだ、まだ私達は、未熟者ですがこの一見で妻共々幾らかは成長したように思います。

  真に先生には感謝しております。


【最後に・・・】
大した感想も書けませんでしたが、不妊症のご夫婦、どちらの方が治療を要するにしてもいつも二人で向き合って頂きたい思います。
 いくらかでも、参考になれば幸いと思いペンをおきます。

不妊症治療 6月3日

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