今の痛み・つらさは未病予防の扉かもしれません

30年来の気管支喘息から救われる

 私は1963年、気管支喘息の病気になりました。
咳は出ないけど、哮喘と喘息苦しい恐ろしい病気です。
どうしようもなかった。
そんな時、まだ中国にいました。あちらは、寒いから余計に苦しいでした。
何にも出来なくなったのです。

 1981年、日本に中国残留孤児として帰国しました。
それから秩父生協病院で治療して,お世話になりました。
でも、益々悪くなって一日3回薬を欽んでも良くない。
 “すごぐ苦しくて仕事も出来なくなった。
仕事帰りに病院に行って注射をしたり、吸引したり、日曜日点滴もしたり、喘息を止めるエアゾル剤使用したり、そんな時すぐ楽になるけど3時になるとまた苦しい。仕事も出来なくなった。

 それから栃木県岩舟松永医院。
そこは気管支喘息の専門と聞いたので、もう5~6年お世話になりました。
大分良くなりました。薬だけで済むようになりました。
でも、薬を飲み過ぎて、胃が悪くなりました。
頭も痛いし、腰も痛いし、どこの病院に行っても更年期と言われて薬も出してくれませんでした。身体もだるい・ ・ ・仕事もやめました。

 姉の紹介で奥野治療院の治療に行きました。
平成3年4月から奥野先生にお世話になったので一回で頭痛と、めまいと、鼻水出るのも止まったし痛みもすっかり治りました。
今は腰と足の痛みの治りました。
胃の痛みも肩凝りも治りました。 

 今は気管支喘息だけまだですけど、もう、30年位になったので治るのも難しいです。
でも、大分良くなりました。
今一日一回薬を飲んでいます。
先生のお陰で本当に良くなって気分が変わったみたい。
先生のおっしゃった通りきっと治ります。
ところで、これからもどうぞ、お願いします。

 この30年位恐ろしい思いして来た。
もう、死にそうだった。
今、考えると夢みたい。
信じられないです。
だから感謝の気持ちが一杯です。
これからもどうぞよろしく治療してください。
お願い致します。

気管支喘息の治療  T.S 女性

3歳からの気管支喘息が治る

私は3歳の頃からずっと気管支喘息を患っていました。病院の先生は小学校に入ったら治るよ、小学生になったら、中学に入ったら治るよといつも言われていましたが、結局高校に入ってもたびたび発作に悩まされていました。
大学に入って一人暮らしを始め、生活のリズムが狂うと気管支喘息は以前よりもずっと深刻になってゆきました。

病院に行っても結局は一時的に発作が止まるだけで、日に日に薬の使用量が増えてゆきました。一度だけ、気管支喘息で本当に死んでしまうのではないかと思ったことがありました。
一日一回と決められた吸引器を2回、3回と増やしていくうちに次第に効果が薄れて、ついに夜中のひどい発作にまったく薬が効かなくなってしまったのです。

そのときは今死のうと思ったら死ねるのではないかという気がしました。結局朝まで苦しみに耐えて病院で点滴を打って、やっと普段の重い発作程度に症状が軽くなったという状態でした。

奥野治療院のうわさを聞いたのは4月の頃でした。カイロプラクティックには以前から関心がありましたし、西洋医学の限界もよく分かっていましたので気管支喘息の治療のために何の抵抗もなく行くことにしました。
私の体は自分で考えていた以上にひどい状態になっており、先生は私に最低12回はきなさいと言われました。

最初の3回ぐらいはとてもつらい日々でした。気管支の深いところで起きる発作と血管注射の副作用と同じ吐き気や動悸が何度も襲ってきました。
しかし何度も通ううちに今まで正しく機能してなかった呼吸器がだんだんと正常に近づいていく実感が持てるようになり、身体のだるさや疲れもだんだんと減ってきました。

おかげさまで今の私は完治した状態で、相当無理をして働いてもまったく気管支喘息の発作が起きなくなりました。外泊するとき薬を持ってゆく心配がいらなくなったのは何よりうれしいことです。喘息と戦ってみて改めてよく分かったことは、気管支喘息は心の状態も関係することです。
毎日ねる前に先生に教えられた方法を実行すると、次第に心のコントロールの方法が分かってきて、以前よりもずっと肩の力を抜いて生活できるようになりました。

そして病気を治すことは何よりも自分を高めることにほかなりません。それは本当に孤独な自分との戦いですが、私は小さい頃からずっと悩み続けてきた気管支喘息を治せたという自信によって、とても吹っ切れたさわやかな気分になれました。

奥野先生本当にありがとうございました。これからもご指導よろしくお願いします。

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重度の気管支喘息とアトピー性皮膚炎が治る

娘が5歳の時初めて奥野先生の治療院を訪れました。
娘は重度の気管支喘息とアトピー性皮膚炎を患っており、1年に2~3回入退院を繰り返しておりました。
幼稚園も休みがちで、この先無事に学校生活を送ることができるだろうか、と親としては不安な毎日を過ごしておりました。

知人の紹介で奥野先生に治療して頂く中で徐々に娘の喘息の発作も治まり、小学生になってからは、入院する事も全くなくなり、元気に学校に通う事が出来るようになりました。
その後の治療で重度の気管支喘息は完全に治り、アトピー性皮膚炎も良くなりました。

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重度の気管支喘息・子宮頸がんワクチンによる後遺症が良くなる

私が子供を連れ、奥野治療院を訪れましたのは、今から15~6年前の事です。
其の頃、私は、糖尿病を患い、子供は、気管支喘息とアトピーに苦しんでおりました。

特に子供の気管支喘息は重度で入退院を繰り返し、お医者様には、「一生ベッドの上での生活かもしれない。そこまでいかなくても16~7歳迄、気管支喘息に苦しめられる。」と言われ、日常的に発作を起こし子供も私も疲れ果てている状態にありました。

そんな時、奥野先生の治療を受け子供の発作も治まり、私自身の心も大部軽くなって参りました。
現在娘の気管支喘息は完全に治りました。
それと同時に私の方は、「このままでいると必ず糖尿病の合併症が出て、10年先の命の保証できないよ」と言われておりましたが、奥野先生の「絶対、私が治すから」という力強いお言葉の下、治療を受けお陰様で、15~16年経った今でも合併症が出ていない状態を保っております。

 娘はその後も子宮頸がんワクチンによる後遺症かと思われる症状にも悩まされましたが先生の治療により完治して、毎日元気に大学生活にバイトにと取り組んでおります。
本当に感謝の念に堪えません。

 又、主人に対しても仕事の事や経済的な事などに、常に的確なアドバイスをいただきまして有難うございました。

 我が家が、今こうして日々手を携えて歩めますことは、奥野先生の治療のお陰様であることに深く感謝しております。
奥様と共に、ますますお元気で今後共良き方向にお導きいただけますようお願い申し上げます。

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気管支喘息(小児喘息)が完治した1

娘は現在4歳です。現在は毎日元気に保育園に通っている娘ですが、以前は考えられなかったことです。休みがちだった娘は、保育園の先生にも「少し体が弱いですね。」と、娘の看病で休むことが多かった職場でも「また?弱いね、かわいそうに。」と言われ続けました。

ずっと一緒にいますし、親ですから、弱さは十分にわかっているからこそ、その言葉は刃物のように心に刺さり辛く苦しかったです。
母親として、元気に丈夫な体に産んであげることが出来なかったことを責め、「治してあげたい」という一心で神経質になっていく自分がいました。

娘の度重なる症状の変化にビクビクおびえながら、あせりながら過ごしていたのだと思います。そんな中、母の友人から奥野先生のお話を聞きました。
「少しでも良くなるなら…」とすがり付く思いで奥野先生の治療院に伺いました。
現在、奥野先生に治療をしていただきはじめてから8ケ月が経とうとしています。

自宅から車で5分もかからない所に奥野治療院秩父分院があるという恵まれた環境なのに、それまで知らなかったという事が今はとても残念なくらいです。それくらい娘の症状は本当に良くなりました。だからこそ、今この文章を書けるのだと思います。奥野先生に「あなたが書くことで同じことで悩んでいる人を助けてあげられる。」とあたたかい言葉を頂き、感謝を伝えたい思いで書かせていただきます。

気管支喘息(小児喘息)

私の仕事復帰と同時に娘は保育園へ入園しました。入園して3ケ月は、風邪・熱・嘔吐・下痢などを何度も繰り返し、月の半分以上は仕事・保育園を休む日々。
そんな中、1歳5ケ月で気管支喘息を発症しました。

現在は常用薬の治療を始めて2年8ケ月が経ちます。
「朝晩と1日2回薬を服用し、夜は吸入をする。」これを毎日やってきました。
気管支喘息発作中は吸入の回数は1日4~5回、「モクモクしよう」と言うと嫌がることなくだまって吸入をしてくれます。

吸入をすることが、娘の生活の中で当たり前の作業のようになっています。
それくらい、以前は頻繁に気管支喘息の発作を起こしていました。
起こる原因を調べるためにアレルギー検査もしましたが、花粉・食べ物・ハウスダスト・ダ二など全て該当しませんでした。

発作を繰り返すうちに、娘の気管支喘息の発作パターンがつかめるようになりました。
娘の場合、風邪を引いた時・台風や冬の低気圧や春と秋を迎える季節の変わり目のように気圧の変化が激しい時・冬の朝のような冷たい空気を一気に吸い込んだ時に発作を起こしやすいとわかりました。

気圧や空気のような自然現象を避けることは出来ないですし、集団生活の中で風邪を引くなんてよくあること。
大学病院の小児喘息専門の医師に面談した際「3歳が気管支喘息の大事な分岐点になります。
良くなる、悪くなる、どちらに矢印が向くかです。3歳までに徹底的に治療しましょう。」と言われたのをきっかけに、薬だけに頼るのではなく体作りに努めました。

娘の体の成長にともなって体力もつき、少しずつ成果が出てきてはいたのですが完治までは至ら
ず悩んでいました。
奥野治療院の奥野先生に初めてお会いして、上記のことをお話ししました。
少し緊張した娘に「よし、先生が治してあげる。」と奥野先生が声をかけてくださいました。

何人かの医師と治療の話しをしましたが、今まで誰も言ってくれなかった言葉でした。
私には強い光のような言葉でした。
現在奥野治療院で治療開始後7ケ月、気管支喘息の発作は起こっていません。
真冬の寒い日も、雪の降る冷たい朝も、春一番が吹く季節の変わり目も。

今まで気管支喘息の発作が起こりやすいとしてきた時期、娘は元気です。
1週間通いきることが目標だった保育園も、2ケ月休まず通って記録更折中です。
これを書いている今、大きくて勢力の強い台風6号が日本に接近しました。

天気図で台風が沖縄の下のほうに来ると必ず気管支喘息の発作が起こり、日本列島に到達する頃ピタッと咳が止まります。天気予報で台風が日本の下の方に来ていることを伝える前日、少し咳が出始めた娘。

天気図を見ることが日課になっている私はすぐに台風が来ている事を確認しました。
娘の体の敏感さには驚かされます。
咳がひどくなってきた土曜日の朝、医師に胸の音を聞いてもらいました。
ヒユーヒユーと鳴るのが気管支喘息の特徴です。
「咳は気管支喘息の影響でしょうが、胸の音はきれいですよ。ビックリするくらい敏感ですね。」と言われました。

咳で寝付けなかった娘は風邪を併発してしまいましたが、半日程でだいぶ回復しました。
回復力の早さに正直驚きました。
1回の発作に1週間近く治療に時間がかかっていたのが嘘のように。
長い間、娘と治療をしてきましたから気管支喘息の完治の大変さはわかっています。

しかし、この回復力を見てすごく前向きになれました。
「奥野先生との出会いが折り返し地点」と思えるくらい、今は治療に対するあせりはありません。

(この治療体験談は長文のため分割しました。続きは気管支喘息(小児喘息)が完治した2―とびひ、粉瘤そして喘息の完治へよりご覧ください)

気管支喘息の治療 4歳 女性

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