今の痛み・つらさは未病予防の扉かもしれません

不妊症治療-卵管狭窄症だったが自然妊娠、自然分娩できた

私は子供が大好きで幼稚園に6年勤めていました。
又、主人も大の子供好きです。それなのに私達には、なかなか赤ちゃんが出来ず、結婚して2年が経過した頃から不妊症の疑いを持つ様になりました。
以前地元の産婦人科へ通い一通りの検査をしましたが、これといった原因もわからず、通院も精神的に苦痛になり半年でやめてしまいました。

私より後から結婚した友達までが次々に赤ちゃんが出来たり 周りの人から赤ちゃんはまだ?との声が高まるのに比例するかの様に私の気持ちは、不安と焦りで一杯になっていってしまいました。
その後知人から「不妊症治療の名医がいるから行ってみたら?」と勧められ自宅から1時間程かかる病院へ通い始めましたが、前の病院で受けた検査を又、1から受けなくてはならず、とても憂鬱な気持ちで通っていたところ、ある日友人から奥野先生の治療の話を聞き、不妊症が良くなるのだろうかと半信半疑で主人とここを訪れました。

初めてお会いした時、先生は治療で悪い所をあてていき、その後笑顔で 「大丈夫だよ。」
とおっしゃって下さいました。ぎすぎすしていた気持ちがスーッと楽になって、とにかく先生を信じようと思いました。

通っていた産婦人科の方では、前の病院ではしていなかった卵管造検査をしたところ、卵管の通りが悪いのでどうやらそれが不妊症の原因ではないかということがわかりました。ただ、その卵管のつまり具合や状態については、全身麻酔をしたうえで、お腹に穴をあけ細いカメラを入れて中の様子を調べたり、器具を差して治療するという腹腔鏡下検査手術をしてみないことには、何とも言えないと、言われてしまいました。

このまま何もしないでいれば子供が出来ないか出来たとしても卵管が狭いので子宮外妊娠の可能性が非常に高いと言われ、検査手術を受けようかやめようかとても悩みました。両家の両親は
 「そこまでしなくてもいいよ。自分の体を大切にして!」

と言ってくれ、その言葉が嬉しく尚更何とかしないと と、私の気持ちをかきたてました。その頃の自分の気持ちとしては、私自身の子供の欲しさよりも、子供好きの主人に、又、両家にとって初孫なので両親たちに早く赤ちゃんを抱かせてあげたい!!と、ただそればかり考えていました。

不妊症のために治療に通い始めて8回目の時、先生にこの手術の相談をしたところ先生は「子供というのは天からの授かりもので、夫婦にとってその準備が整った時、自然に授かるものだから物理的に外からいじるなんて事は良くないなあ。
それよりも、ふたりの夫婦間の関係を足元から見つめ直してごらん。手術はいつでも出来るからあせって体に傷をつける事ないよ!」
とおっしゃり、自分自身納得をし、手術は見送ろうと思いました。

ところが、その後それまで診ていただいていた産婦人科の先生がその月一杯で異動になるどいう事を聞きせっかくここまで色々な痛い検査もしてきた事だし、この際この検査手術を受けてはっきりさせれば気持ちもスッキリするのではないかと又、迷いの気持ちが出てきてしまいました。色々考えた末、気持ちがはっきりいないまま
「キャンセルはいつでもできるのだし とりあえず、予約だけでもしておこう」
ということにしました。

その手術の1週間前に術前検査に行く事になっていたので どうしたらいいのか迷いつつ重い足取りで病院へ行ったところ思いもよらず妊娠反応が出たのです。まさか?とボーゼンとしていると、その先生は
「まだ喜ばないで下さい。問題は卵菅が狭かったので子宮外妊娠ではないかということです。もう1週間待ってみないと今の段階では何とも言えませんね」
と、おっしゃるのです。

せっかく妊娠反応が出ても、もし子宮外妊娠だった場合は、すぐ手術をし赤ちゃんをあきらめる事はもちろん場合によっては、卵管や卵巣なども切除しなくてはならないので今まで以上に妊娠が難しくなってしまいます。
喜びもつかの間、天国と地獄の分かれ道の様な状況になってしまい1週間後の自分が喜んでいるのか それとも泣いているのか考えただけでもういてもたってもいられなくなり病院を出ると私は奥野先生の所に車を走らせていました。

奥野先生は
「大丈夫だよ。もう卵管の通りは良くなっているから、赤ちゃんはちゃんといい位置におさまるよ。」
と言って下さり、何故か先生の言葉で又気持ちが楽になりました。

それから1週間後祈る様な気持ちで病院へ行ってみると
 「子宮外妊娠の可能性は無いようです。」
と言われ嬉しくて嬉しくて心の中で奥野先生にお礼を言っていました。
その後妊娠中も2回程 奥野先生に治療していただきましたが
 「赤ちゃんの位置も良いし、とってもいい赤ちゃんだ!」
と言っていただき、その後も何の問題も無く順調に行きました。

そして、予定日より17日早い早朝に破水し、主人の立ち会いのもとで2,852gの元気な男の赤ちゃんが誕生したのです。
安産で生まれるようにと5ケ月の戌の日に奥野先生に治療していただいたお陰で非常に楽なお産でした。今まで生きてきた中で この日が一番感動的で嬉しい出来事でした。今現在子供もすくすくと成長しております。

そして、何と言っても待望の赤ちゃんということで主人をはじめ、両親たちが今までこんな嬉しそうな表情見た事ないという顔をしてかわいがってくれます。
こんな日をずっと夢見て来た私にとって、ごくありふれた光景がたまらなく嬉しく、そして 幸せに思え、ただ、ただ 奥野先生に感謝するばかりです。

困っている世の中の人々の為にと奉仕で遠い所から 寒い日も暑い日も時には自分の体を犠牲にしてでも通って治療して下さる先生は何て素晴らしい方なんだろうと思えてなりません。

先生を信じて毎回通ってらっしゃる多くの方々も悪い所が1日も早く良くなります様、心からお祈り申し上げます。先生を信じていれば、いつか必ず良くなると私は確信しております。
先生これからもご自身のお体も大切になさり頑張って下さい。
本当に有り難うございました。

不妊症治療 《生後3ケ月》30歳 主婦

治療の後に妊娠しました-不妊症治療

ご無沙汰しております。お変わりなくお過ごしでしょうか。
Kの母からお聞きかもしれませんが先の10月14日、第2子を出産しました。
今回も不妊症治療で上の子のときと同様、先生の治療を受けたその直後に妊娠しました。
今回は私のおなかがとても大きくて、生まれた子も、出生時3610g、身長53cmの男の子でした。名前はYと名付けました。

Yに男の子らしく健やかに育ってほしいと思ってこの名前を名づけました。
Sさんも元気に毎週野球に汗を流し家族全員元気に健康に過ごしています。
藤沢に帰省した際にはまたお寄りしますのでよろしくお願いします。
では取り急ぎ報告まで、またお伺いするときを楽しみにしております。

不妊症治療   女性 K

不妊症が治り、妊娠

ご無沙汰しております。
妊娠7ケ月頃、不妊症から妊娠に至るまでお手紙しましたが、おかげさまで無事男の子を出産しました。
妊娠後期には、お腹の強い張りがあったり、出血したりと一時不安な日々もありましたが、予定より1週間早く元気な男の子が生まれました。

我が子を抱くことができ、夫婦で幸せな日々を送っています。
育児に追われる毎日ですが、楽しく あっという間に子供は5ケ月になります。やっと、落ち着いてきました。
この子が元気にスクスク育ってくれるのをただ、祈っています。
どうも ありがとうございました。
先生も身体を大切にこれからも、頑張ってください。

不妊症治療 sさん

不妊症治療-やっと子供ができる

春も近づいて来た今日この頃、いかがお過ごしですか?
先日、義母から聞いたかと思いますが、やっと 不妊症を克服し私も子供が出来ました。
夏に初めて先生の所へ行き、悪い所等見ていただいた時は
 “どうして分かるのかしら?!”

と、驚くばかりでしたが、その時先生に“気楽に過ごしなさい”と言われすごく肩が軽くなりました。気が楽になったのと、不妊症のため、お正月に治療して頂いたのが良かった様です。ありがとうございました。
頂いたコアラは我が家の宝です。

これからはお腹の子がちゃんと育つ様、気を付けながら過ごしていきます。
また、お伺いする時は子供を連れて行きます。
今後も、義母がお世話になると思いますが、私も必ず行きたいのでまた、宜しくお願いいたします。

お世話になったお礼と、報告まで。
毎日お忙しいと思いますが、健康に気を付けて、お身体ご自愛下さいませ。

不妊症治療   Y・K

自然分娩で2695gの子を授かる-不妊症治療

自然分娩  12・24生まれ(写真9ケ月)

ごあいさつが遅くなってしまいました。不妊症でしたが、先生のお陰で元気な我が子を授かる事ができ楽しく子育てをしています。
ありがとうございました。

不妊症治療  M.Y (東京都町田)

不妊症を克服し、出産

今まで本当にどうもありがとうございました。
精神的、肉体的にいろいろありましたが、先生に助けて頂いたお陰で子供も10ヵ月もち、11月8日3,295gで無事女の子を出産することができました。
名前は「H」と名付け、とても元気で夜も良く寝てくれ、出産間近の時には出なかった母乳も出ています。

主人は相変わらずなのですが、以前ほど私自身の心の苦しみは少なくなったように思います。
本当に正しい生き方をするという事は とてつもなく大変なことです。
しかし、心のどこかに常にその気持ちを忘れずにほんの・・・ほんの・・・ほんの少しずつでも行ってゆきたいと思います。

正しい生き方を教えて下さって、本当にどうもありがとうございました。
暖かくなり、子供が少し大きくなりましたら、またお伺いしたいと思いますので、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

不妊症治療 女性

不妊症克服-幸せいっぱい。あまりガミガミ怒らないようにしなくちゃ

奥野先生、ご無沙汰しております。このたびのお礼も大変遅くなり、まことに申し訳なく思っております。娘も無事1才を迎え、ますます感情表現も豊かになり、こちらの言うこともだいぶ理解するようになりました。「できる」ことも多くなり、子供の成長の早さにビックリする今日この頃です。

しかし、その成長に伴い、イライラ、キリキリすることも多くなります。いけないとは思いつつ、たびたびヒステリックな状態に陥ってしまう未熟な母・・・寝顔を見ては
「この娘を授かり、健康でいてくれるだけでありがたいことなのに・・・」と反省する日々です。

私たち夫婦が結婚したのは私が30歳になる直前でした。
すぐにでも子供を考えていい年齢でしたが、当初はわりとのん気にかまえていて、友達にも「すぐにできそうな感じだよね」などといわれており、また自分も、そうだろうと何の根拠もないまま楽観視していたのでした。

ところがいざとなるとなかなか授からないものです。どうしてだろうと思いながら時がたち、年齢も気になり始めていた私は、そこで始めて産婦人科の門をくぐったのでした。夫婦共に不妊症の検査をしましたが、私のほうは特に不妊症の問題はなく主人のほうの精子の運動率が若干ではあるが低いとのことで週一度のホルモン注射を半年程度打つことを勧められました。

主人は抵抗があった様ですぐには承知してくれませんでしたが、不妊症克服のためにと数日後快く承諾してくれ、それから半年間、週に一度休まず注射を打ちに行ってくれました。
両腕は注射の跡で痛々しいほどで、今思い返してみても主人には感謝の気持ちでいっぱいです。

半年の通院後の検査で「後はタイミングさえ合えば大丈夫」と言われ、その後も通院を支持されたのですが、実はそれまでの経緯でその病院が自分には合わない感じを持っていた私はそこで通院をやめてしまいました。
それがいけなかったのかどうか、その後半年近くたっても妊娠の気配はありませんでした。

その頃たまたま友人が奥野治療院のことを話しているのを聞いて、ようやく先生のところへ行こうと思い立ちました。
奥野治療院には、私の母が数年前からお世話になっております。母から先生の評判はずっと聞いており、ならもっと早くに伺っておれば…とも思うのですが、私も実家から幾分離れた場所に住んでいて、また「そのうち授かるのでは…」
と思っていたこともあり、なかなか現実的には考えられずにいたのです。

先生は私を診察されて開口一番「体全体が冷えているね」とおっしゃいました。
確かに私は冷え症です。冬場は手先・足先が特に冷えるので遠赤外線のタイツやらスパッツをはいていたりして対処はしていました。
食生活でも根菜などそれなりに取っていたつもりです。けれどそのくらいでは補えてはいなかったのでしょう。加えて、その頃の職場が金融機関ということもあり、冬はもちろん夏もエアコンで非常に冷えるのです。

靴下等でいくらかでも防げればいいのですが、制服規制でストッキングにパンプスと決まっており、それもままなりません。年齢もそろそろ30代中盤にさしかかろうとしていた私は考えた末に仕事をやめることに決めました。

パートとはいえ人手不足のこともあり、言い出しにくい状況でしたが、次の更新時までということで何とかお願いしました。
その時点で先生の治療は3回受けていましたが、正直な所「不妊症の治療をもう少しお願いしなくちゃだろうな」と思っていました。ところが辞意を伝えてしばらくして、なんと妊娠が判明したのです!!本当にビックリしました。
実際「今回もダメだな…」と思わせる鈍痛を感じていましたから…。

そのまま冬になり先生の治療がお休みに入ったので春になったらまた伺おうと思っていましたら、切迫流産ということで一週間入院をし、その後は安静生活(それほど重度ではないのですが、長時間の運転等を控えていたので)になりすっかりご無沙汰してしまいました。

けれどおかげさまで出産は年齢の割にはとても安産でした。子供は最初から看護婦さんもビックリされるほど、ミルクの飲みがよく、離乳食が始まって以降も本当によく食べるのでその辺の心配はまったくありません。

9月半ばには歩き出し、今ではバタバタと走るような足音です。本当に丈夫な子を授かり感謝しております。
この気持ちを忘れず、あまりガミガミ怒らないようにしてなくてはいけませんね。
(苦笑い)

子供をつれてまた伺いたいと思っております。
寒さ激しき折、先生もお忙しいこととは思いますが、どうぞお体ご自愛下さいませ。
このたびは本当にありがとうございました。

不妊症治療 主婦

不妊症-学生時代から婦人科に通い続けた私でも自然分娩で来ました

 「オギャー、オギャー」と元気な産声・・・無事に生まれて良かった!
全身の力が抜けていく中で私は、分娩に立ち合って下さった先生方に何度も何度もお礼を言いました。

しばらくして、看護婦さんが子どもを抱いて私のベットの所まで連れて来てくれました。この子が今まで自分のお腹にいた子ども。
なんて小さくて可愛いんだろう。子どももしっかり目を開けて。
“この人が私のお母さん”というような顔で私を見ている。
私はこれから色々なことがあるだろう。

でも母親としてしっかりしなければ・・・頑張らなくては・・・と思いました。
そして、今日の最良の日を迎えられたのも、奥野先生や色々な人達のお陰と大変感謝しております。
思い返せば学生時代から婦人科へ通院しておりました。
まだ結婚はしておりませんし、辛い思いがありました。
あらゆる病院を転々としましたが、一向に良くなる気配もありません。

半ば結婚も諦めた時もありましたが、縁あって結婚することができたのでやはり子どもがほしい・・・不妊症治療で一生懸命病院にも通いました。子宝に恵まれるということは、あらゆることもやってみました。先生にも
「かなり難しいですね。妊娠しても流産早産の危険が高いので入院が必要。
年齢的な事もあるし帝王切開になるでしょう」 
と言われていました。

ある日友人から奥野治療院の話を聞きました。
不妊症治療のために早速行ってみると、先生が優しい眼差しで
「子どもができるよう、一緒に頑張りましょう」
と言って下さり、2~3週間通った時に先生が
「あなたが子どもを抱いている姿が想像できる」
と言われ、なんだか私もいつかできるのではないかという気持ちになりました。

そしたらどうでしょう。
すぐ妊娠したのです。      
驚くやら、ビックリするやら、先生の所に数回しか通わなかったのに先生へ喜びの報告ができ本当によかった。
そして切迫流産と切迫早産で3回入院しましたが、帝王切開と言われていたのにもかかわらず、吸引分娩にはなったものの自然分娩で産むととができました。

これも先生のお陰だと思います。
今、子育てにおわれる毎日ですが、充実した日々を送っています。
本当にありがとうございました。

主婦 不妊症治療

不妊症が治る-いつも心配ばかりの私をささえてくれました

 奥野先生にお世話になり始めてから 3年ちょっとですが今回2度目の体験談を書かせて頂きます。1度目の治療体験談では、不妊治療に通っていてもなかなか赤ちゃんに恵まれず、検査手術をしようかどうかと悩んでいた私たち夫婦に「手術なんてする事ないよ。赤ちゃんはきっと出来るから・・・」

と先生はおっしゃりその言葉通り、手術を予定していた1週間前に妊娠がわかったという大感激の出来事を書かせて頂きました。あれから早2年が経ちその時の赤ちゃんも2才2ケ月を迎えました。

お腹にいる時「この子は良い子になるよ!」と先生に度々言って頂きましたが生まれてから同じ病室だった親御さん数名でずっと仲良くし、成長過程を共に見てきましたが、他のお母さん方から「男の子なのに手がかからなさそうだし落ち着きがあって本当に良い子で羨ましいわ」と、いつも言われております。

今まで見てきて病気らしい病気はしていないし 本当に育てやすい子ではあるなあ、と私も思い、これは先生の治療のお陰ではないかと思っているところです。そして妊娠しずらい体質(卵管の通りが非常に悪い)であることは不妊症治療で承知していたので1人目が生まれて余り間をあけないうちに
「もう1人授かりますように・・・」と 又、先生の所に通い始めました。

すると、それから1年もしないうちに自然妊娠で2人目が出来た事がわかりました。 2人目がこんなに早く出来るとは思っていませんでしたが、以前
「もう、卵管の通りは良くなっているよ」と言う先生の言葉を思い出し
「きっと、そのせいですぐ出来たに違いない」と 又、先生に感謝の気持ちで一杯になりました。

そしてその頃から新たな悩みがいくつか生じてしまい妊娠中何度か先生のところに通いました。
最初の悩みは、ご近所に住む主婦の方の奇妙な行動でした。その方は 〈強迫性心神症》という心の病を持ってらっしゃる方で 急に何かに恐怖心を抱いてしまい、それを取り除く為には自分の決めた行為を行わないと気が済まないという病気のようでした。

ある日、その方から「お宅の家の周りを回らせて下さい。又、チャイムを3回を3セット鳴らし、それを5日間同じ時間にやらせて下さい」と頼まれました。「それには何の意味も無い事だけど そうせざるを得なくて、たまたまあなたの顔が頭にうかんだから」と言うのです。

わたしは「それで その方の気がおさまるのであれば・・・」と思い戸惑いはしたものの快く「どうぞ」とお返事しました。
実際グルグルと家の周りを回り始めると何となく落ち着かず「何故、私の顔が浮かんだのだろう?何かあるのでは?」等と考えだし自分の方が情緒不安定気味となり先生にご相談しました。すると先生は目をつぶったまま紙に大きく《寿》と書いて渡されました。

それ以来この駄事は起こらなくなり、その方は遠方に引っ越され、解決しました。
2つ目の悩みは妊娠4ケ月頃にある本で「妊婦が妊娠6ケ月位までの間に風疹にかかってしまうと、お腹の子に障害の出る可能性が高い」と言う内容を読んだ事から始まりました。

私は以前行った検査で風疹抗体が少ないと言われていましたし、上の子はその時点でまだ風疹の予防接種を受けていませんでした。
又、ちょうど 風疹が流行っている時期でもあったので、上の子がかかってしまうとわたしもかかる可能性が大きいのでは・・・?」と心配し始めたらいてもたってもいられなくなってしまったのです。

この件を先生に相談すると 「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。」と、おっしゃり、その後風疹にかかる事もなく妊娠の経過も順調に進み、心身共に健康な状態で過ごす事が出来ました。本当に先生の力は偉大だと実感いたしました。

最後にもう1つ、これは悩みという程のものではありませんが、私にとっては割りと大きなこだわりとなっていて心に大きくのしかかっている事がありました。 
私は幼い頃から「子供は女の子が絶対ひとりは欲しい」と思っており、夢にまで見てしまう程、その事に執着したおりました。不妊症とわかってからは「そんな事言ってる場合ではない。

どちらでもいいから早く授かりますように・・・」と気持ちを切り替える事も出来、上の男の子が出来た時は、とても感激しましたし、もちろん今も愛情一杯で育てております。でも心のどこかで
「次は女の子ができるかしら?又、男の子だった場合その子をいとおしく思えるかしら?」等と母親としてあるまじき事を考えたりしていました。

その気持ちが頂点に達したのは、2人目を妊娠中に「今度は女の子がいいって、お父さんが言ってるよ。」という義母の何げない言葉を聞いた時でした。思い起こせば義父は男兄弟だけで子供は主人を含め息子2人なので、女の子という存在に憧れの様な気持ちを持っている、というような事を私は結婚当初、義父の口から聞いた事があったのです。

そう考えると義母も息子2人なのだから女の子を抱いて見たいと思っているに違いないと思いました。
主人は私があまりにも女の子を欲しがるので1人目が出来てからは口にしなくなりましたが、子供が出来るまでは、やはり兄弟が弟1人だったので女の子が1人欲しいと言っていました。

みんなが女の子を望んでいるとわかると増々プレッシャーがかかり
「お腹の子はどちらだろう?」と気になって仕方がないという状態になっていました。ちょっと、買い物に出掛けても女の子を抱いた親子ばかり目に入るしテレビを見ていても子役の女の子に目が釘付けになってしまうしそうなればそうなるほど、「それではいけない!」とそういう気持ちを打ち消すもう1人の私がいて、いつも葛藤していました。

とうとう自分の気持ちが整理出来なくなった時、この事を先生に相談してみると 「お腹の子は女の子のような気がするけどなあ・・・でもこればかりはどうする事もできないよ。神はそこの家にとって、最もふさわしいと思われる子を授けてくれるわけだからね。

それに母親がそういう気持ちでいるとお腹の赤ちゃんに通じて、男の子だった場合一生その子は心に傷を持って生きて行く事になるよ。
どちらでも授かった子が一番と思わなくちゃだめだよ」
と言われ、それからは不思議と気持ちが落ち着き、それまでの執着心のようなものがなくなったように感じられました。

そして又2人目も無事安産で生まれるように先生にパワーをいただき10月5日に1人目よりも更に軽いお産で、体重2970gの赤ちゃんが誕生しました。
それまで性別は聞かないでいたのですが
「おめでとうございます。今度は女の子さんですよ。」という助産婦さんの声に
「えっ?本当に?」と感激で胸が一杯になりました。

主人を始め義父母も、それはそれは喜んでくれて、いつも嬉しそうに抱いて可愛がってくれる姿を見て、私も幸せで胸が一杯になります。2人目の子も新生児のうちからよく寝、よく飲んでくれる子で1人目以上に手がかからず助かっています。

お腹にいる時からずっと、先生のパワーを受けた子達だから2人とも良い子なんだといつも先生に感謝しております。もっと、重い病気を持ってらっしゃる方からすれば、私の様な悩みは、恥ずかしいくらいのものでここに治療体験談を載せていただく様な内容ではないとは思いますが先生の治療の事が少しでも皆様の励みになれば・・・と思い2度目の体験談を書かせていただきました。

奥野先生、本当に色々と沢山の悩みを解決していただきありがとうございました。今後も悩んでらっしゃる大勢の方の為に頑張って下さい。
又、1人でも多くの方の悩みが解決されます様 心よりお祈り中し上げます。
先生も、お身体 お大事になさって下さい。

不妊症治療  32歳  主婦

妊娠し子供が宿りました-不妊症

お元気でいらっしゃいますか? ご無沙汰しています。
今日は、うれしいお知らせがあって、お手紙を出させていただきました。
今年に入ってからは、あまり通えませんでしたが、先生から書いていただいた診察券の裏の「赤ちゃん」の文字を信じて、香港に行って来ました。

日本に帰ってきて、9月の下旬に赤ちゃんができていることがわかりました。
先日、産院に行き、エコーで赤ちゃんの心臓を見ることができました。
産院の先生も「これで一安心です。」といわれ、ホッとしています。
(5月に生まれる予定です。)

今は、つわりがピークの時期らしく、遠出もできず、買い物を近くでするくらいがやっとの状態です。
先生に直接お礼を申し上げたいのですが、手紙にてご報告させていただきました。もうしばらくして体調等が落ち着きましたら、先生に改めまして御礼に伺いたいと思います。

不妊症治療 9月 手紙にて

不妊症治療-第2子がなかなかできなかったが妊娠

私は昨年の暮れ、御縁があって原因のわからない足の痛みで先生をお尋ねしましたが、その日に
「治りました」
と言われ、本当にすっきりしておりましたので心から御礼を申し上げて帰りました。

娘はその時、第2子がなかなか出来なくて不妊症治療で伺ったのですが何も申し上げないうちに
「生殖器が悪いね」
と言われました。そして5月に伺った時
「素晴らしい子が出来ると思う」
と言われました。私はその時、やっぱり先生はおわかりなのだ。と感じることがありました。

娘はまず、他人のことを大切に考え、相手を気遣う子でしたから、次の子も本当に良い子を授かることが出来ると信じました。
長い人生には色々な出会いがありますが、先生との御縁は尊いありがたい御縁と心から感謝しております。

不妊症治療 主婦

赤ちゃんを授かるまで-不妊症治療

【第2の人生のスタート】
私達は、6月8日に虎ノ門のパストラルにおいて結婚式を上げました。私27才、妻23才の時です。
当日、朝はすこぶる快晴、そして式、披露宴中は雷雨、お開きには穏やかな天気となる何か、結婚生活を示唆しているように感じました。

さて、この世に生を受けた時が第1の人生のスタートとするならば結婚とは二人連れで歩む第2のスタートと言えましょう。そして喜び、悲しみを数多く味わって行くことになるのだと思います。

いま思えば、私は結婚する年の4月に転職、結婚後の同居と言う状況の中でお互い各方面からの見えないプレッシャーを必然的に受けていたのではないかと思います。


【そろそろ赤ちゃんを】
あっと言う間に2年が過ぎ去りました。
私はと言えば、転職して3年目には会社の内状を知りこれではいけないと思い資格試験へ挑戦、かなりの時間を費やしたように思います。試験勉強は、会社に対する反動なようなものでしたので知らずのうちに、自分自身に余裕を持てなくなっていたようです。
当然、妻に対しても、家庭に対しても同じだったと思います。
赤ちゃんができないことが気になり始めたのもちょうどその頃からだったと思います。
その後、試験に受かり、気持ちに余裕ができ、自らの生活が振り返れる様になった時には妻は、あれこれと婦人病に関する本等、かなり読んでいたようです。


【病院通い】
結婚して3年目、4月頃より、妻はH病院の産婦人科に通院するようになりました。診察結果は、黄体機能不全、生理不順やらで妊娠しにくい状態であることがわかりホルモン投与、又、基礎体温表もつけるようになりました。

そして、数カ月後 人工授精を行うかたわら私の方も精子の数、活動等の検査をうけることになりました。 ところが結果は、まず通常妊娠は無理、有り得ないであろうと言うことで一時は、目の前が真っ暗になったことを記憶しています。
ここからが私達の赤ちゃん作り(物のような言い方ですが)のスタートが始まりました。
原因がわかっているのなら治すしかない。私は数量の問題、妻は体調の維持。
治療法と言っても漢方薬投与がほとんど。その間に数回、人工授精を試みはしましたがすべて空振りでした。

ちょうどこの頃から、特に家族から、近所の人から妻には見えない圧力がかかってきたようです。何気ない赤ちゃんの話から、自分が悪く言われていると捉えがちになってしまうようでした。 このような中で、親にクレームをつけたり等々、とにかく、妻に対する圧力を緩和させること、良好な精神状態を保持する環境にすること等には私も、意識的に行うようにしてきたつもりです。が、それ故に親との喧嘩、妻との喧嘩、も多々あったのは事実です。


【奥野先生との出会い】
3月、H病院よりM病院を紹介され、そこで私は、さらにK病院を紹介されました。妻が、奥野先生と出会ったのもこの頃かと思います。その後、私はと言えばK病院より外科的治療(手術)を行った方がいいと勧められ、7月末には手術を受けました。手術と言っても簡単なもの、血液が睾丸の方へ逆流するのを防ぐためであり、白血球が精子に対する悪影響を取り除くためのものでした。

退院後、数カ月遅れて私も奥野先生の治療を受けることになりました。とにかく自分も医療分野では、今の状態でするべきことはしたと言う気持ちがありましたので、後は気長に治療するしかない、いい意味での開き直り状態でもありました。

そして、それから約1年間、病院通いと奥野先生の治療を併行して受けることになりました。先生には失礼な言い方ですが、当初は気休め程度になればいいと考えておりました。
しかし、何度か通ううちに精神的にも落ち着き、もうすぐ子供ができるような確信さえも持てる様な気がしてきました。

それは、さておき、私の方の状態は奥野先生の治療を受けてから1年後、もちろん病院からの漢方薬も飲んでいましたが、通常の人の1CC当りの精子数の約、半数(2000万)程度まで増えました。しかしながら、医学的には、まだ通常妊娠できるような状態ではありませんでした。そのころにも2回程度人工授精を行い、これも空振りに終わりました。その話を先生にしたところ「自然にできるよ、できそうな気がするけれど」と幾度となく言われ、長期戦覚悟で気長にやろうと妻とニ人で確認したのがこの頃でした。


 【懐妊 出産 命名】
この頃より、二人とも精神的に落ち着いてきてはいたようです。
ともかく、私達は、私の転職の都合上、新婚旅行も中止したため新規にパスポートをとり、海外旅行を計画し、年末から正月こかけて海外で過ごすわけでした。

ところが・・・ 妻に生理がこないことがわかり、期待しないように病院へ送りだしたところところ、思わぬうれしい誤算?と言うことで、めでたく懐妊しました。
奥野先生に、「すぐにでもできそうな状態にあるよ」と言われ数カ月後のことでした。また、私の状態も医学的に通常妊娠させるほどの精子数には到っていなかったので、驚きの一言でした。

当然、新婚旅行?は、また中止。
その後、一時は、大事をとって入院しましたが、以降は病院には指定日に通った程度で出産するまでは奥野先生の診療のみで順調に無事、男児出産を迎えることができました。
6月23日ののことです。結婚してから6年と15日が経過しておりました。


名前 K  
由来 
・拳を使う時にはいろいろな表情があることから
喜びを表す。(ガッツポーズ)
悲しみ、悔しさ等に堪える。
戦う象徴
・礼儀正しいの意


【懐妊までに行ったこと】
私達が赤ちゃんを授かるまでに行ってきたことは

等であり、奥野先生の治療を除いては極一般的なことです。

しかし、治療受けて感じたことは、先生の手の温もりが大変感じたこと、そして何より内面的に私自身が変化したように思います。ある程度の知識的にも、精神的にも、常に前向きな考えが持てるようになったこと等です。何か得難いものを得た感じがします。
まだ、まだ私達は、未熟者ですがこの一見で妻共々幾らかは成長したように思います。

真に先生には感謝しております。


【最後に・・・】
大した感想も書けませんでしたが、不妊症のご夫婦、どちらの方が治療を要するにしてもいつも二人で向き合って頂きたい思います。
いくらかでも、参考になれば幸いと思いペンをおきます。

不妊症治療 6月3日

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